論創社
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「極楽の門」

中村 美代子

  青い波の白だつ港に沿う山陰に大徳寺という臨済宗のお寺がある[。]禅宗でかなり由緒の古い寺で、その辺一帯は寺町で、他宗の寺も幾つかあつて、お盆や彼岸には墓参りの盛装をこらした女たちで、大変な賑はひを呈しはするものの、平常は葬式や火葬場へゆく以外には、滅多に誰も通らぬ寂しい処だ。前は海へ臨んで、背に切立つた山端の墓地が続いて、そのまた横が海に面しているこの大徳寺は檀家の数も多く、毎日所化たちが廻りきれない程、法事や葬式があつた。葬式には龍頭や、白張提灯が、造花などと物々しく捧げられて、市中から行列を作つてやつてき【ママ】る。坊さんが車で行列の先頭へ立つ風習があつた。が、皮肉なことにこの寺町から一丁ほど手前に遊廓があることだ。お寺と遊廓――この境目が問題なのだが、恋の港に寄る波の、入船あれば出船あり、あの世この世の別れ路は、あしたの鐘のきぬぎぬに生滅無情、寂滅為楽を悟る……といへば何だか浪花節のマクラめくがそれはまつたく地獄の門でもあり。【ママ】また、極楽の門でもあつた。困つたことには坊さんたちは、どうしてもその遊廓の前を通らなければ寺へは行けないのだ。だから、ここの坊さんたちには、あまり、おおつぴらではないが、一人づつ各々馴染の女があつた。客人としての坊さんは職業柄どちらかと云へばおとなしいので、何処の家でも歓迎された。どうせお経をあげての浄財だから、大したお金も使へないがこうした所にいる女たちに取つて嬉しいのは、干菓子や、おまんぢうや精進料理の流しものなど、そつと広い袂へ忍ばせて持つてきてくれるそんな細かい心遣いの実意のあることだ。時には棺桶に掛ける白布や錦襴の打敷なんか持つてきて、下着にでもしたら、とか……なんかと云つて置いてゆくのもあつた。なにしろ喰物や、せんい製品には互いに豊でないので、女たちに取つては、待たれる客筋であつた。昼、葬式が通ると、彼女たちは寝乱れ髪に、しどけないなりふりで、二階の欄干に凭れて、、すつかり有頂天になつてこれで今夜は葬い菓子や精進料理のおあまりが貰へるほか、白木綿も手に入ると、お祭気分で噪やぎながら、見送るのだつた。だから行列の車に、自分の馴染でも見出そうものなら、朋輩同志つつきあつて、キヤツキヤツと含み笑ひをしたり、低い声で冷かしあつたりした。だが人力車の上ではまさか、それに手をふるわけにもゆかず、悟り顔で当惑しきつた至極まじめな顔で錦襴の袈裟に、珠数をまさぐりながら半眼の態で苦しそうに揺られてゆく。事情を知つた街の者は、おかしくて仕様がないがこんな場合、芝居見物の気分で、うつかり半畳でも入れられたら、坊さんと女たちの両方から憎まれて、それこそ一大事である。
  だが、坊さん達の方でも、こう女たちに葬式の度びに、ひやかされるのは、世間ていも悪いので、いろいろ考へてはなにかと袖の下を使つて、口止させようと骨折るのだが、さて、ここに、どうしても、この買収の手に、乗つて来ない女があつた。小雛……名前だけは、いかにもしほらしいけれど、実は地方廻りの女角力くづれで、桃色の筋肉が隆々と盛り上つた健康型で、ヘタに暴れたりするお客は、アベコベに組しかれさうな姐さんである。他の女は、別に他意なく、ただ喜んでキヤツキヤツと騒ぐだけだが、彼女はそうでなく夜の狂態ぶりを知つてるだけに、葬式の先頭へ立つた聖僧ぶりをみると、急にむかむかして来るとみえて、待つてゐましたとばかり、二階の欄干へ乗出して大見得を切り――あの腥さ坊主、クソ坊主と呶鳴るのだつた。勿論、それが自分のお客であらうと、他のであらうと、そんなことは、一向念頭にはない有様だつた。それは坊さんたちに取つては青天のヘキレキ以上の脅威で、あんなことをされては、葬式の行列ができんと、彼女の処へ矢継早やにいろんな袖の下が贈られた。おまんぢうやお菓子ばかりでなく、より集つて出しあつたらしい金一封まで届けられた[。]だが小雛さんは、芋虫みたいな丸つこい食指を動かして、おふせらしいピーンとした札を、にやにやしながら数へた。これでもう、この女は話がついたかと思うと、そうでもなく、算へ終つて懐ろへしまいこむと、また前に戻つて「あの腥さ坊主、クソ坊主」とやるのだ。まつたく彼女の眼からは、高僧も、だらく坊主も区別がない。ある時金襴づくめのロイド眼鏡をかけたまだ若い僧に向つて、この腥さ坊主……を【ママ】毒づいて溜飲をさげたまではよかつたが、さて、それが名僧の誉れ高い大徳寺の京都の総本山の貫主と知れて、さすがの小雛姐さんも、これには照れてすつかり困つてしまつた時に、巧い具合に助けてくれたのが、山本覚禅と云う若い僧で、これから妙な馴染になり、あんな、ジヤラジヤラ馬でも、好きな男ができるとこんなに変るものかしら、と朋輩が噂するくらい、すつかりおとなしくなつて、あまり毒舌も振るわなくなつた。
さてこの廓は山のかげの新開地で、市中からは、ずーっと離れてゐたので、お天気でも悪いと横なぐりに吹きつける雨風と、どろんこのぬかるみで、道が通れなくなつて幾晩も彼女たちのお茶ひきが続いた。そんな晩が続くと、何処の家でも、やりきれなくなつて女たちが二人、或ひは三人と連れだつて、馴染の男たちを近くのお寺へ迎ひに行つた。だが小雛姐さんは気丈者だけに、朋輩を誘ふ必要がないから、自分ひとりで裾をぐつと腰までまくり上げて出かけた[。]片側は山、一方は海で海鳴りのひどい山背風が吹きまくつていた。広い本堂には二、三十名の坊さんが寝てゐた。小雛姐さんは大胆にも、この聖処へ踏込んで、蝋燭を灯したが、なんと云つても、広さが広いので迷う上に、どれもこれも出ているのは、同じ坊主頭では誰が誰やら、さつぱり区別もつかなかつた。まるで夏の西瓜畑そつくりで、あつちにもこつちにも、丸い顔がコロリコロリ転がつてゐて足の踏場に迷う始末だ。小雛姐さんは灯を翳して一々首実検である[。]デコボコの虫蝕頭、瓜のように青白い頭、寸詰りのイガグリ頭、いびきや歯ぎしり、あられもないムニヤムニヤの寝言。探す山本覚禅の頭には二銭銅貨ほどの禿がある。それが目印しだ。あれでもない、これでもないと、大兵肥満の裾風をたてて、どしんと丸い顔を跨いだはずみに、蝋涙がたらりとこぼれた。――熱ツ、誰だツ……と、むつくりと跳む【ママ】起きたのは、ナントここでは謹厳で評判の、若僧のお目付けみたいな木乃伊と[呼]ばれる老僧だつた。
「おいツなんだ。この夜更けに……此処をどこだと思つているんだツ……」きびしい声だつた。
  しまつたと思つたが、ここで、あやまつてしまうのも、業腹だつたので、
「あれまア、色気のない坊さんだこと……」と大きな声でやり返してしまつた。これがまずかつた。この騒ぎで水瓜畑は、むくむくと活気を呈してきた。山本覚禅はびつくりして、早やいとこ、本堂の撫で仏の本へ避難してゐた。だがこの事件のために、山本は火葬場の本堂の方へ左せんの憂き目をみた。丁度それは夏枯れで、廓がひまだつた故もあつたかもしれないが、彼女は大徳寺から、半里以上もある山の中の本堂まで、のこのこ、あやまりにやつてきた。と云うと人聞きはよいが、彼女は、その若僧に嫌われるのがいやだつたのである。山本は執拗な女とほとほともて余してしまつた。それに彼はあの事件のために、京都の龍谷大学へ入る機会が一ヶ年延びてしまつた。さて、それは初秋の頃で、あらしがやつてきそうな夜更けであつた。山本は毎晩、訪れる彼女の来るのを、その夜も待構えてゐた。小雛は枝折戸を跨いだとき、何かに蹴つまづいて倒れた。俵へ入つた何か柔い感じのするものであつた。はつと驚いて、部屋に入つてから尋ねると、「あれは人間の屍骸が入つてるんだよ」山本はそういつて彼女の顔を窺つたが、脅しと思うので別に驚く風もなかつた。
  夜が明けると、あらしは来なかつたが、いやに生温い突風が吹き荒れてゐた。本堂から火葬場の高い煙突が見える。断続的な煙が風に圧されて、ちぎれ雲のように飛んでゐた。それは昨夜俵へ入れて持込まれた行旅病者の屍体を焼く煙だ。山本は神経質な眼を光らして煙の行衛をじつと睨めてゐた。そして怯えたように時々時計を覗いた。火葬場の煙が立昇つてから二時間は過ぎた。彼がほつと溜息を洩らした時である。海沿ひの山道を大型の自動車がやつてくる。誰かが骨上げにやつてきたらしい[。]車は経堂の崖下を通り過ぎてから停つた。警官の影がちらとした。続いて背広を着た三人の男。彼らは経堂目がけて登つてきた。
「山本覚禅は君かね、小雛殺しの犯人として君を逮捕する……」
「えつ……」
  山本は眼を白黒させて係官をみた。彼は、あくまでも自分の妨害をする小雛の馬鹿太い執拗さに、遂に殺意を懐いたわけだ。彼は小雛と同衾中に彼女を容易に縊め殺し、俵の死体を裏山へ埋めて、その代りに彼女の屍体を火葬竃の一つへ納めて火を入れた。だが山本のお為めごかしを、隠亡は不満に思つた。彼は日頃の習慣で、何か剥取るものはなな【ママ】いかと火口を開けたのが、山本の運のつきで行旅病者の屍体が意外にも女に変つてゐた。しかも見覚えのある小雛だ。彼は女の屍体を引出して隣りの冷却した竃へ入れその代りに薪を抛込んで警察へ急報したのであつた。
「悪女の深情け……つて云いますか、あんな、しつこいのに見込れては、私もなんともなりませんでした。初めは、ロハで女遊びができると、とんだ色男ぶつて喜んでいましたが、あれだけ追いまわされて、ここの火葬場まで日参されたんじや、私は勉強どころか、身体の方が続かなくなりました……」
  若い僧侶は泪ぐんで告白した。

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