論創社
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「裸行進曲」

中村 美代子

  肉体の裏門

  銀座裏の茶房ランマンの前で、サブはふと足を停めた。ふふん、ノツポのやつ、やつてやあがら……。呆けた唄声を背に、サブはそのまま行過ぎようとすると、窓のカーテンを掲げて、磨きをかけた馬面がぬつと突出た。やはりお洒落のノツポだつた。
「おい、へいれッたら、おれの美音をきき捨てに素通りはどうかと思ふぜ……」
  サブは肘で杉皮の扉を押して入つてきた。つんと済したウヱトレスが、コーヒーをサブの前に置いて立去ると、ノツポは、やに下つた唇を歪めていつた。
「いまね、銀座で素敵な催しがあるんだぜ。お前みてえな朴人参あ是非見ておく必要があらあ、おい当てて見な――」
「なんだ? そいつあ生物か?」
「うん……」
「家に棲んでるんか?」
「うんにや、青カンだ……」
「翼があるか?」
「翼? ねえわけでもねえな……」
「何を喰つてるんだ?」
「上等のキンシヤリ(白米)だ」
「ぢや、人間だらう……」
「人間に翼があるかよッ……」
「天女?」
「ありや、空想的なシロモノで、ギンシヤリなんて喰ひやしねえ、だが、もう少しだ」
「詰んねえ、おいら行くぜ……」
  サブが立上つた途端、窓のカーテン越しに、ちらと女の影がさした。
「サブ、待ちな、お前にぜひ頼みてえことがあるんだ……」
  ノツポは慌てて外へ跳出して行つた。女の影は悄然とカーテンに映つてゐた。肩の線がどこかいかつい感じはするが、瞳が魅惑的でちよつと人目を惹く顔立ちだつた[。]彼女は鼻へかかる小声で何か頻りにいつてゐるらしい。ノツポは馬面を一層長くし、一々頷いてゐたが、不意に女のすすり泣きが洩れてきた。ノツポは女を宥めて、窓辺を離れたが暫く経つと引返へしてきた。
「あれをやらないの……」
「彼女は何んだと思う――」
「無論、君のアレにきまつてらあ……」
「ところが、お手の筋は大違えだ」
  とノツポは卓子へ腰をかけ、サブの唇から喫ひさしのタバコを引つたくつて、煙をふウッと吐きながら声をひそめた。
「あれ、実あ、女ぢやねえんだ……」
「こいつ、よくいろんなものを舐めあがる」
「ンでねえ、ありやカゲマだぜ」
「カゲマ?」
  と、サブは怪訝な顔つきだ。
「肉体の裏門取引をするやつよ」
「碌なことをぬかしやがんねえ、おい、真昼間だぜ……」
 サブはネクタイを直して立上つた。
「おつと待つた。お前の、その気風を見込んで頼みがあるんだ……」
「おだてとモツコにや乗らねえぜ……」
「まあ、きけッたら……」

  貞 女

「サブ、お互えに渡世人として商売の患ひてやつがあるだろう。いつも千客万来てわけにやいかねえ[。]ドヂを踏むなあまだいい方だ。運の悪い日にや、バラクレル(捕る)やうな目にも遭はあな、あのカゲマもそれよ。彼女? は水木胡蝶といつて元は新劇のドサ(田舎)廻りの女形なんだが、御難続きでカゲマに転業したはいいが、肝腎の裏門がよ、柘榴の先きつちよみてえにジクザクになつて、目下休業中なんだ。つまり商売の患ひてんだな」
「商売の患えをとんだ処へもつて行つたぜ」
「まあきけよ、水木にや恋女房があるんだ」
「カゲマに女房があるんか?」
  サブの耳には彼女? の泣声が残つてゐた。
「あるとも、カゲマてやつあ男なんだぜ、万事ソーメーなお前がよどうかするとノールスになるのがキズだぜ……」[註:ノールス=脳留守]
「ああ、おいらどうせノールスにきまつてらあ、アバヨだ……」
「おい、ナマいうない。お前、偉えものになつたな、大そうなものになつたな、モサの地下鉄サブあレツキとした男でござんすよ、御自慢さつせえ、御自慢さつせえだ。が、それぢや弱えものを見殺しにするてえもんだ」
  扉の方へ行きかけたサブは引返へしてきて、ノツポの背をどしんとどやしつけた
「野郎、ほざいたな、だがお前とゴロ(喧嘩)を巻いたつて始まらねえ、それで、そのカゲマ氏の恋女房がどうしたてんだ……」
「ぢやサブ、きいてくれるんだな有難え、その、女房のチエ子てのが突然ドロンをきめやがつた。だが浮気沙汰ぢやねえよ、サブ泣かせるぢやねえか、彼女の心意気がよ、お前さんは体が弱いんだからカゲマ稼業はやめておくれ、あたしが替りに働いて、身過ぎ世過ぎに不自由はさせませんてえんだからな」
「で、彼女は何をしようてんだ?」
  ノツポは溜息と一緒に、声を落した。
  「いづれ、パンパンだらうよ。女が男一匹を立過さうてんだからな[。]一方、水木にしちやチエ子にそんなことをやらせたんぢや、可愛想だ。女房は体が弱いんだから、是非思ひ止らせなきやと、気狂ひみたいに捜し廻つてるんだ。この銀座界隈て見当なんだが、お前に頼みてえのはチエ子を捜し出すことなんだ……」
「それで女の方は本音なんだらうな、もしか他にいいのが出来たんなら、あつさり諦らめた方がいいぜ……」
「サブ、色事師の水木に女の肚あ判らねえ筈はねえ……それに水木は案外純情なやつなんだ。もしか間違つたら俺の首をやらあな」
「いや、お前の首を貰つたつて使ひ道がねえから、そいつは返上だ[。]然しそれに替る商売を何か見つけなくちやなるめえ、それが先決問題だぜ……」
「うん、さすがはサブだ。水木は山の手の花柳地で女髪結を始めようてんだ。とても真剣なんだが腕に自信があるそうだ……」
「よからう……」
「ぢや、きいてくれるか……」
「うん……」
  サブはチエ子の写真をポケツトにねぢこみ、ノツポと手筈をきめて外へ出た。まつしぐらに大通りへ。日旺りなのに銀座の舗道を漫歩する女性のナント多いことか、サブは時々ポケツトの写真を覗いて見る。チエ子の特徴は上の唇の左に豆粒大のホクロがあつた。ふふん、日頃、女に背を向けてゐたおれがよ、女を捜し出す仕事を背負込むなんて、こいつあ、ちよつと難かしいやと、サブは目眩するほど女が氾濫してゐる街を泳ぎ廻つて、高島屋の前へ来かかつた時である。
  三人連れの洋装をした濃艶な化粧の女がくる。おやツ、ホクロがあるぜ? 摺れ違つたサブは人ごみを駈抜けて彼女たちの前へ廻つて見る。右端の女の上唇に確かにホクロがある。顔立ちはどこかチエ子ににてゐるが、大柄で図抜けて背丈が高い女だ。チエツだ。ノツポに詳しくきいておけばよかつた。写真ぢや身長が判らねえからな。サブは彼女たちの後になり、先になつてついて行くと、三人の瞳がチラリ、チラリ。何かくすくす笑ひ出した。
「この頃、エロマニアが横行してるさうよ、暑さのせゐね……」
  サブはダーとなつて立往生の態だ。クソ忌々しいてありやしねえ[。]彼はぶつぶついひながら尾張町の交叉点へやつてきた。服部の時計は十一時を少し廻つてゐた。ああこれだ。サブは自分と一緒に舗道を横切る洋装の女に、はつと息を呑んだ。此度こそ間違ひないぞ。チエ子にそつくりの女だ。あの唇の上のホクロも鮮やかだし、背丈も図抜けて高くはない。女の方でもサブの顔をちらと見やつた。そして三度目に瞳がぶつかるとにつと微笑つた。
  しめた、この女に違ひない。確かに職業的な媚笑だ。彼女は誘うやうな眼差しで三原橋の方へそれた。サブはのこのこついてゆくと女はある建築場の前で立停つた。そして媚態を示して合図をするとその中へ入つて行つた。サブは一瞬、躊躇したが突嗟に彼女を追つた。そこは補装工事中の焼ビルだが、あたりに人影も見えず、木材を積んだ蔭の方は薄暗くて、冷やりとした涼気が漂つてゐた。
「到頭、きてくれたわね……」
  彼女は、につと微笑つて手提から細巻を出してくゆらした。サブは短刀直入と出た。
「君はチエ子さんだらう……」
  女は黙つて笑つてゐる。
「水木君が心配してるぜ、早く帰らうよ」
  と、彼女は素早く彼の背後へ廻つて犇と抱きついてきた。
「おい、悪さはよせよ、君の肉体を要求しに此処までついてきたんぢやないぜ、サア帰らう、水木君の処へ……」
  彼女はサブの手を振切つて向うの壁際へ馳せ寄ると、くるり此方へ振返つた。手には小型のピストルが光つてゐた。サブはウームと呻つた。
「なんだかわけが判んねえ、一体どうしようてんだ?」
  約四米を距てて銃口は彼の胸の辺を狙つてゐる。息詰る一瞬、ぶすツと鈍い音がした。サブはあつと眼を眸つた。空間へふわりと赤い風船が浮んだではないか。続いて二発目、ピエロの人形だ。女はひきつツた声で笑つた。
「弾丸はこれつきりよ、あら、まだあるわ」
  と、唇の上からホクロを剥取ると丸めて抛つてよこした。サブは上衣の胸へ止つたのを、弾き飛ばした。
「気狂いめ、とんだ道草を喰はしやがつた」

  裸体女軍

サブはその足で、ノツポの連絡所へ電話して見たが、彼は今しがた出かけたといふ返事だ。チエ子はまだ見つからないのだらう。四丁目を中心として夥しい人出だ。サブは人群を掻分けて首を突込んで見ると賑やかな行進曲が響いてきた。群衆が沸立つのも無理はない。大胆極はまる裸婦行進団だ。
  婦人服の御用はK・X洋品店へ――人波にプラカードが揺れて、潮騒のやうなざわめきが街頭に溢れてゐるのだ。
  マネキンたちの膚は乳房と腹部が僅かに蔽はれてゐるに過ぎず、その代り肉体の露出面が、目立つわけだが、そこに挑発的な狙ひが感じられる。沸立つばかりの沿道の歓声に囃されて、リズミカルに躍動する肢体の美、焔と渦巻く陽射しに、豊満な脂肪に熟れきつた肉の香が、妖しく、悩ましく蒸れあがつてくる。酔ひしれた群衆はその素肌に捺された奇異な刺青に気がついた。
  多くは男の名前がかいてある。中にはローマ字綴りもあるし、蛇や、男の性器を刺青したものもあつた。だが肉体を白日の下に曝した彼女たちが、一様にセルロイドの日除眼鏡をかけてゐるのは何故だらう。ありやパンパンだ。銀座のパンスケだ。刺青に刺戟された群衆は沸立つてきた……。サブは先刻ノツポがいつた謎を憶出した[。]翼がある? 違えねえ、ギンシヤリを喰う街の天使か? サブは此時裸女の群像の中からホクロの女を発見した。すんなりした体つきで、日除眼鏡の下から現はれた顔の輪廓といひ、唇の下の褐色のホクロも自然の色艶がそのまま浮出してゐる。これだ! サブは直感的なものにうたれて、いきなり彼女へ近寄つて行つた。
「君は、チエ子さんだらう……」
  彼女は吃驚してサブをみつめたが、否定はしなかつた。
「水木君が命がけで捜してるんだぜ……」
「だつて、あたしたちは生きてゆかなきやならないんですもの……」
  チエ子の悲痛な告白だつた。
「いや、生活の問題なら水木君がしかと請合つてくれた。彼氏は自身のもつてる手職をまじめに生かさうてんだ……」
  サブがチエ子を行列の中から引つこ抜いた時、女の姿をした水木胡蝶が群衆を押分けて駈け寄つてきた。
「おおチエ子……」
  しかと抱き合つたふたりの眼に止度もない涙が沸上つてくる。人目には姉妹か、女友達のめぐり合ひのようにもとれる、不思議な夫婦の抱擁だつた。サブは忙しく自分の上衣とボタンを脱いでチエ子へ着せた。
「さア、君たちは速く此場を引揚げるんだ。ノツポも後でゆくだらうから」
  と、サブはいきなり背後から衿がみを掴まれた。吃驚して振返つて見ると、太腿に太蛇の刺青をした大柄の女だつた。野次がわつと囃したてた。
「よう待つてました、銀座パンパンの元祖、鉄火のおりき姐御しつかり頼むぜ……」
  サブはもはや退引きならぬ立場に臨んでゐた。
「おいツ、青二才、君あ誰に断つて、あたしの息のかかつた子供を引つこ抜いたんだい。何時、誰にローズ(挨拶)を通したのさ」
「済まねえ、実あ、その……」
「済まないぢや通らないよ。さあこのオトシマイ(解決)をどうしてくれるんだい」
  サブはそこへ体を投出す肚をきめた。幸なことに自分がモサなのを対手にしられてゐないことだ。
「勝手に料理して貰はうぢやないか」
「いつたね、ぢやハダカにおなりよ……」
「だつて男のハダカはエロぢやない」
「へん、背負つてやがら、ハダカのエロは女に限るんだよ、野郎のエロなんかをかしくてだ。あツ、こいつ、先刻高島屋の前であたしたちをつけ廻したエロマニアだよ……」
  ああ、あのつけホクロの女だ。サブもさう気がついたが遅い。
「さア、ハダカになつて三遍廻つてワンワンワンと吠えて見な……」
  彼女が手をあげると、わあツと黄色い喚声があがつて、裸女が殺到した。サブは忽ちパンツ一枚のハダカにされてしまつた。此態を見たお洒落のノツポが舗道の向側から十重二十重の人波を押切つて駈けつけた。
「おやツ、君は何処かで見たことがある、あツ、あの方面の渡世人だね、面白え、さア一匹どつこいでゆかうよ……」
「すつとこどつこいと違うか?」
  野次が飛んできた。
「何にいつてやがんだ。一匹どつこいてのは、一対一の勝負のことだよ、さア君、一か八かだ、お控へなすつて、お控へなすつて……」
  おりき姐御は、ひどく鉄火な早口で挑んできた。慌てたノツポの背をサブが小突いた。
「ハツタリ仁義をかけられちや此方の身性が曝れちやう。ヤバイ、逃げろツ」
  ノツポの素早い逃腰へ忽ち女たちの手が搦んできた。蚊細い体が天手古舞をしながら一枚づつ剥取られて行つた。八方から手が伸びてきて、上衣が宙に舞ひ上り、ワイシヤツが引裂かれ、ズボンが引張り凧だ。折も折、先に、日本橋を出発した漫画家主催の仮装弥次喜多五十三次、旅行の一隊が、追突したから堪らない。その辺は拾収しがたい混乱に陥つてしまつた。

  弥次喜多道中

あたりの混雑に乗じて、ノツポはサブの手を引張つて、遮二無二人ごみを掻分けてゐた。が、逃げた筈のが、しらずしらず騒乱の渦中へ引戻されてゐた。沸騰する騒動の中でおりき姐御の金切声が弾んでゐた。
「漫画家だつて? 笑はしやがら[。]君たちの描くパンパンてありやなんだい? やたらに裸体になつたり、お尻をひん捲つたり、股をはだけたりしてさ、ワイセツはパンパンそれ自身が創るんぢやないんだよ。あたしたちが街頭宣伝のマネキンを買つて出たのは、社会の欺瞞性に対する断固たる抗議なのさ、何にいつてんだい、小説家の方がもつと酷いつて、どつちもどつちだよ。パンパンを材料にして君たちはさんざ儲けて、弥次喜多の漫画旅行と洒落のめしたんだらう。クソ面白くもない、張子のチヨン髷なんざすつ飛んぢやえだ」
  人波を揺つてわあツと歓声が流れる。髷は宙を飛んで彼方へ逃げのびたサブの頭へ被さつたのだ。
「サブ、お前の頭を見な、張子のチヨン髷がのつかつてるよ……」
「ほつとけよ、こいつを取つたら裸ン坊の納りがつかねえぢやねえか……今日はどうせ弥次喜多ゴツコだ……」
  とサブは脚下から、ひしやげたカンカン帽を拾つてノツポの頭へ載つけてやる。
「おい、サブ見ねえ、M百貨店の前よ、閻魔様がサツカリンを舐めたみてえな御面相をしてござるぜ[。]ほらK署のお前の係りの倉徳旦那だあな……」
「さういへばノツポ、傍に立つてるのはお前の高杉旦那だぜ、ほらまるで魔王様がキユーバ糖を舐めたみてえに笑つてござる」
「だがサツカリンよかキユーバ糖の方が味がいいぜ……」
「この行列は新橋駅の方へ曲るんだ。おいらは芝口から真直に行つて……ほら向側にW・Cがあるだらう、あの横丁へ駈けこむんだ」
「なんでそんな臭え処へ突つ入るんだ」
「水木の家があの先だからよ……」
「おいノツポ、カストリでもやらねえか」
「へえ、下戸のお前がか?」
「だつて、しらふぢや小ツ恥かしくてやりきれねえや、ハダカで道中なるものかだ」
「よういわんわ、カストリを呑んだつもりで、かうして肩を抱き合つてよ、あつちへゆらり、こつちへゆらり……」とノツポは歌ふ。
  あれまア喜多さん
  そらきた弥次さん
  山は晴れても港はしぐれ
  照る日、曇る日、浮世のことよ
  時世時節を待たしやんせ……

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